大阪アイバンクのご案内

         ――手記集「光」―――


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手記集「光」を発刊しました!   
 

大阪アイバンクでは、ご献眼いただいたご遺族様のお手紙や、
角膜移植を受けられた方々の気持ちを手記集にして、多くの
方々にお読みいただけるよう冊子を作成しています。


昨年発刊しました「光」を、
ご希望の方にお送りいたしますのでご連絡下さい。


 
    
 
作品の紹介 

  移植を受けられた患者様3名の作品
                        

 手記のご紹介
ご献眼頂いた方のご遺族様の手記
松山市在住 ご主人をご献眼されたご夫人より
【大阪アイバンクの皆様へ】
  ―生かされて―

 秋は、吹く風も咲く花も何かものさびしさを感じさせます。
今日は、ご丁寧なお手紙をいただきありがとうございました。手紙を読みながら涙が流れ、とまりませんでした。
 主人は亡くなりましたが、主人の眼は、どこかで誰かの目に光を与えているのだと思うと……。
 結果的に主人は生き延びることはできませんでしたが、主人も心臓移植を受けることをめざし、医療スタッフの方々もそれをめざして全力で対応してくださったことに、深く感謝しております。
 告知されてからの11年間「生かされた」日々でした。
 角膜移植を受けられました方が、これからも明るい光景をいっぱいいっぱい
見つめ
られることを願っております。
 お手紙は仏前にお供えさせていただきましたことをご報告いたします。
移植医療の推進のために献身的につくして下さっておりますスタッフの方々に、 どうかよろしくお伝え下さいませ。

和泉市 お義母様をご献眼されたお嫁さんより (ご家族3人目のご献眼)
 ―母の献眼―

 年の瀬もおしせまった12月18日に母は来世へと旅立ちました。夜の遅い時でしたのに、母の強い願望をかなえていただきありがとうございました。
 翌日にはさっそく91才でしたがきれいな角膜である事、近い内に移植が出来る事 をお知らせ下さり本当にありがとうございました。
 人の役に立つために生まれてこられた母です。
 母の身体が我が家にある内に報告が出来ました事に感謝でなりません。
私も嫁として母の強制とも思えるほどのアイバンク申込でありましたが、父と夫の献眼で、法要に参拝させていただく度に、母の強い意志がわかる様になりました。 少しは友人も勧められる様になりました。
 目の見えない方が少しでも早く一人でも多く移植が出来ます事を心よりお祈り申し上げるものでございます。感謝の気持ちをお伝えしたくペンを取りました。  

和泉市在住 男性より
 ―母の献眼―
 本年百三歳で亡くなった母の献眼登録のいきさつ等を少し述べさせていただきます。私達夫婦と母がそろって献眼登録したのが今から15年前だったと思います。
何事にも一言居士で素直なところがなく、船場で生まれ育った事のみが自慢の母を 私は嫌いでした。 父の病気、戦時中の疎開による農村生活、水害による離村等々、百三歳の人生は多少の浮き沈みはありましたが、この時代を生きた人間としては、特別のものではなかったと思います。

 世間の方々の様な立派な尊敬できる母ではなく、むしろ反面教師として見ていた母でした。しかし、その母も明治生まれの人間として僅かながらも進取の気象もあり、それが献眼のつながったのかもしれません。 死亡時に先生が摘出に来ていただいた時、「大丈夫」と言って下さったそうですが、なにぶん高齢でお役に立つかと心配しておりましたが、後日アイバンクからご来宅いただき、無事役立ったとのお話をお聞きしました時は、母が生前多くの方々から戴いたご恩の万分の一でもお返し出来たとの思いで胸が熱くなりました。  
 唯々馬齢を重ねた母でしたが、アイバンクの方々はじめ皆々様のお陰で自己の分身をこの世に残し、尚、感謝していただける事は、このうえもない喜びと思います。 母に代りましてお礼を申し上げます。
 終わりになりましたが、母の思い出をより良いものにして下さった大阪アイバンクをはじめ皆々様のご発展、ご幸福を心よりお祈りいたします。
角膜移植を受けられた方の手記
三重県在住の女性より 
 ―角膜を守ります―

 私は某総合病院で左眼の白内障手術を受けました。
そして、その検診の為その病院で担当医師の診察中、左眼のまぶたを開けられた時、激痛が走りました。すると担当医は奥に行き、どこかと連絡を取っている様子。自宅に電話掛けて下さり家族を呼び出し、家族と一緒に状況の説明を担当医から受けた話は、「角膜にピンホールの孔があいているので当病院では処置が出来ないので、別の病院へ連絡を取ったので、すぐそちらに行く様に」とのことでした。

 すぐに診察を受けましたが、角膜の穿孔は黒目の1/3位に達しているとの事。点滴と目薬で細菌の進入対策を取ると共に即入院し、角膜移植をする以外に手はないと聞かされました。
 その時、角膜の提供者があらわれるのはいつのことかわからないと思い、失明することを覚悟していました。
 そして、翌日の夜になって病院長より角膜の提供者があった旨の話を聞き、あまりの早さに驚きと同時に喜びが込み上げて来ました。
 翌日、午後に移植手術を受けました。病院長の話では、通常の移植手術と違って難しい手術ではあったが成功したと聞き、うれしかったです。

 2ヵ月たった現在は、大きな物の輪郭はわかるようになり、日が経てばだんだんよくなると聞いています。アイバンクから送られてきた資料を読ませてもらった所、角膜移植の希望者は、長い間待っているとの事。緊急とは言え、私はその待っている方々を差し置いて、手術していただいたことに感謝すると共に、角膜をご提供下さった故人に心よりご冥福をお祈り申し上げます。
 手術していだいた先生並びに病院の関係者にも改めて感謝申し上げます。
 残る人生、大事に角膜を守っていきます。

大阪市在住の女性より
 ―夢のような毎日を得て―
 まず始めに、角膜をご提供くださいました故人のご遺族の方に深く感謝致しますと共に心からご冥福をお祈り申し上げます。私は3歳のときに大腸カタルになり、その後十分な栄養が取れなかった為、その影響が両目に出ました。それ以後視力はどんどん衰え多少の光もまぶしくて目をあけることができないようになりました。外出時にはサングラスをかけ、また、親や兄弟など誰かの手を借りなければ外出も出来ずそのため学校にもほとんど通うことが出来ませんでした。

 36才のとき少しは良くなるかもしれないからと、一度手術をしましたが手術後に強烈な傷みが伴っただけで視力はほとんど回復しませんでした。その後は通っていた病院で瞳孔を開く目薬を貰い、一日に何度か差し、そのときだけはほんの少しだけ目が見えるものの、時間が経って薬が切れてくれば、見えなくなるという状態が長年続いておりました。今後もう何をしても目がみえることは無くいずれは失明してしまうのだろうとあきらめておりました。しかし、今から6年前に通っていた病院からO病院のM先生を紹介していただきました。
 先生からは失明を避けるには角膜移植しかありません。また手術すれば今より少しは見えるようになるかもしれません。とのお話をいただき、以前の術後の強烈な痛みへの恐怖はありましたが、先生を信じ昨年、右目の角膜移植の手術をしていただきました。手術後、眼帯の隙間から入ってきた光は、ちっともまぶしくなく、また、先生や家族の顔もはっきり見えました。術後の痛みも全く無く、私に角膜を下さった方がいたおかげで手術をうけることができ、目が見えるようになったことに本当に感謝しております。
 目が見えなくなってからの63年間、親や兄弟、主人や息子夫婦孫達と、いつも誰かの手を借りて生きてきましたが主人もなくなった現在は、誰の手を借りることなく生まれてはじめての一人暮らしを満喫しております。一人で買い物に行き。家事をして、近所のお友達と出かけたり。自分ひとりで何でも出来る、自分ひとりでどこにでも行けるという今の生活は、私にとって夢のようです。
 角膜を下さった方、そのご家族の皆様方と、先生、そして、お世話になった方々に本当に感謝の思いでいっぱいです。いつまでもこの感謝の思いを忘れず、今後は私も何かで人のお役に立てるように、頑張って生きて行きたいと思います。本当にありがとうございました。   

                        
          

 

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