大阪アイバンクのご案内
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大阪アイバンクでは、角膜移植を受けられた方から、感謝の気持ちをお手紙や手記に、していただ きご遺族様にお伝えしています。
またご遺族様からもお手紙をいただき、多くの方々に読んでいただきたいと思っております。 
ご献眼頂いた方のご遺族様の手記
大阪市内在住 ご主人をご献眼されたご夫人より
【大阪アイバンクの皆様へ】

 前略 日々お忙しい御事と存じ上げます。
この度小さなお手伝いをさせて頂き、又私もそのつもりでおりますのに、種々とお優しいお便りを頂戴いたしまして、それだけでも感謝致して居りますのに、又、この度は大臣様よりの感謝状のお言葉に恐縮致しております。
誠に有難うございました。
 実は前に私が点訳グループの代表として厚生大臣賞を頂きましたので、何となく夫婦とも頂戴出来ました幸せを感じております。厚くお礼申し上げます。
 皆様にはお身体くれぐれもご自愛の上、視覚障害者の皆様のお力になって上げて下さいませ。
先ずはお礼申し上げまして失礼いたします。
大阪市内在住 ご両親をご献眼されたご子息さまより
【私達の使命】

 本日は、開眼追悼法要に多数ご参集下さいまして、遺族代表として厚く御礼申し上げます。私事ではありますが、平成2年10月に父が亡くなり、その時にアイバンク角膜提供の連絡をいたしました。
 実は私の父の遺体は大阪歯科大学の黄菊会に献体登録をしておりましたので、そのために角膜提供は片眼だけしか提供できない事を私も初めて知りました。
 片眼だけでは、何となく申し訳ないような気持ちでおりました。この度、母が93才の長寿を全うし、この1月に亡くなりました。母もまた献体登録をしており、今なお遺体は献体提供中であります。角膜提供は今回も片眼だけになりましたが、これでやっと両眼開眼と云う事になり、責任を果たすことが出来たと思っております。
 私自身もこの両親に、見習って献体と角膜提供に登録したいと思っております。本日ご参集の皆様と共にアイバンク運動を広め、大きくすることが私達の使命ではないかと思います。   
本当にありがとうござました。
大阪市内在住 女性 
 本日は、第38回開眼追悼法要にお招き頂きました事、僭越ではございますが、遺族を代表致しまして、ご挨拶をさせていただきます。この様に盛大な法要をここ四天王寺におきまして、執り行っていただきます事に、心より厚く御礼を申し上げます。
  さて私事ではございますが・・・・・妹が危篤状態だと、外出先で弟より連絡を受け、何も解らないまま、搬送されたと言う病院へ駆けつけました。結婚して暫くは大阪で生活しておりましたが、連合いの転勤で、東京近辺の住居を転々としている間に、気管支喘息にかかってしまい、以来30年近く苦しんでまいりました。5年前に大阪へ帰って、日常生活にも気をつけておりました。少し落ち着いていたのですが、突然激しい発作に見舞われたのです。残念な事に、発見が遅れてしまい、病院の先生方、スタッフの方々の、手厚い御尽力に報いることも出来ませず、意識の戻らないまま65歳の命を閉じました。この事がありました2週間程前、妹二人から、私の古希のお祝いも兼ねて、京都へ出かける誘いがありました。日帰り旅行でしたがお天気にも恵まれ、姉妹三人初めての小旅行は本当に楽しいものになりました。
  許す限り色々な所を見て廻り、よく笑い、おいしい物を頂き、子供の頃の事から、これからの事への話は尽きませんでした。立ち寄った喫茶店で、これから時々旅行しようネと約束し合い、その帰り道、先に電車を下りた妹が、私達の乗っている電車を追って嬉しそうに手を振った姿が妹との最後になる等とは、夢にも思っておりませんでした。
  暫くは気持ちが沈んでしまい何かをすると云う気力がなくなりつつありました。そんな時でした。アイバンクより封書が届き、中の書面に目を通しておりました時、ある文面に「ハッ」となりましたそこには妹が提供した眼が、二人の方の「光」となって生きていると、書かれておりました。私はこの時、妹の眼を提供して本当に良かったと、思いを新たに致しました。妹は喘息に苦しんだ長い年月の間に沢山の方々のお世話になって参りましたので、自分の出来る事で少しでもお役に立ちたいと思っていたようです。私が早くから、ドナーカードを持っている事にも理解を示しておりましたので、病院からお話がありました時は何の迷いもなく献眼させていただく事に同意致しました。
  人は自分がかかわらないと解らない事沢山ありますが、私を含めて多くの方々がアイバンクに関心をお寄せ下さり、一人でも多くの方々の光となります事を。心より願っております。
  最後になりましたが、大阪アイバンクの今後のご発展と、そこに御尽力下さる皆々様のご健康を心よりお祈り申し上げます。本日は誠に有難うございました。
池田市在住 女性
 前略 失礼いたします。
去る4月某日に死去・献眼させていただきました母への感謝状を拝受いたしました。立派な感謝状をいただきましてかえって恐縮いたしております。
  母死去の際も早朝からお越しいただき、本当に申し訳なく思っておりました。
  お礼を申し上げないといけないのはこちらの方ですのに、いろいろお気遣いいただきありがとうございました。
  とりあえずお礼申し上げます。
                       早 々
角膜移植を受けられた方の手記
伊丹市在住の女性から
 3ヶ月前手術のお手配を頂きました。先生方の手厚い診療と明るくやさしい看護をして頂きました。手術前は物がはっきり見えなかったのが、今ではローソクの火も筆のようにはっきり明るく見ることが出来ます.。
 角膜を提供して下さった方は、定命を迎え他界なさってなお今私に大慈大悲の角膜を残して下さいました。私を明るく道案内をして下さっていることを思うとご献眼下さった方そしてそのご家族の皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。
 第二の人生を私と共に歩みましょう。頑張りますから道案内をして下さい。入院前日に植えたスミレも咲いています。春には一緒に桜の花も見ましょうとお話しています。
 この喜びがご遺族様にお伝えできれば幸に存じます。 しっかりと角膜をお守りいたします。
 皆々様に厚くお礼申し上げます。
和歌山市在住 女性 ありがたい毎日
 本日は第38回特志開眼追悼法要に参列させて頂き有難うございます。
  まず始めに角膜をご提供して下さいました故人、ご遺族の皆様に心から感謝申し上げ慎んでご冥福をお祈りいたします。
  私は昨年暮れ頃から右目がかすんで小さな字が見えにくくなり近くの眼科で見てもらったところ白内障と言われました。一か月あまり待って手術をして頂きましたが三ヶ月たっても見えなくて右目が見えないだけで辛く生きているのが嫌になるほど悩んでいた所、眼科の先生が一度H病院.に行って診てもらいますかと言ってM先生に紹介状を書いて下さいました。でも病院は遠いしどうしたものかと自分も色々悩んでいた所、娘に思い切って大阪に行って見てもらったらと言われ、自分ももう一度良く見える様になりたいと思い診てもらう事を決意しました。M先生に診て頂いたところ「水疱性角膜症」と聞いたこともない病名で驚きました。先生は角膜移植をした方がいいですよと言われました。先生にお願いして手術をして頂くことにしました。手術中は恐ろしさで緊張もしましたが、もう一度良く見える様になりたいと思う気持ちで一杯でした。皆様のお蔭で今では良く見える様になり孫に絵本を読んであげられるほどになり、大変嬉しく思い有難い毎日を過ごさせて頂いております。
  最後になりましたが、角膜をご提供下さいました故人、ご遺族の皆様有難うございました。並びにH病院の先生方、スタッフの方々、アイバンクの皆様本当に有難うございました。
大阪市在住 女性 きれいな瞳となって

 前略
  先日大阪市内のN病院で角膜移植をして頂きました。
生後間もなく目を悪くして視力もさることながら黒目が白濁していたのでとても恥ずかしい67年でした。
  結果は視神経が未発達だった為に視力はあまり出ませんでしたが、目がきれいになりとても嬉しいです。
  鏡の中の自分の瞳を見つめとても晴れやかな毎日を過ごしています。
  角膜を下さった方、お世話のして下さった方々にお礼を云いたくて筆を取りました。
  本当にありがとうございました。
(平成19年4月 お寄せ頂いたお手紙から掲載いたしました)

感謝の心

 はじめに、角膜をご提供くださいました皆様に感謝の気持ちと、ご冥福を心より申し上げます。
  私は33歳会社員です。私は小学校1年生の時、鉛筆の先端で右目を突いてしまい、それ以来視力が非常に弱くほとんど左目だけでものを見るという状態でした。ただ、視界はあり右目の視力も弱いなりにもいくらかはあったため、当時は様子をみましょうということで不便を感じながらも、そのまま過ごしておりました。そうしているうちに徐々にその生活にも慣れてきて、その状況が当たり前と感じるようになっていました。

 そういう状態のまま気がつけば20年近く過ぎていました。しかし、あるとき自分の写真をみていると、怪我をしている右目の向きが、左目がみている方向と少しずれていることに気がつきました。斜視という言葉もその位の時期に初めて知りました。年々右目が外を向き始め、考え事などしている時は無意識に右目の向きが外れるようになってきました。眼科にも中学生くらいまではたまに通っておりましたが、見え方が変わるわけでもなく、特に通院する必要性も感じなくなり、いつから行かなくなっておりました。しかし、当時斜視の症状がどんどん酷くなってきていることから、一度眼科に行ってみようという気持ちになりました。すると、右目の視力があまりないことが斜視を進行させているということで、右目の視力を回復させることが必要であるという診断でした。そこで、初めて角膜移植のことを詳しく知りました。

 自分の右目の視力は一生戻ることはないと思い込んでいた自分にとっては、角膜移植によって視力が回復する可能性を知らされた時は大変期待に気持ちを膨らませ、嬉しい気持ちになったことをよく覚えています。その後H病院を紹介していただきました。手術を受けるまでの間は、正直複雑な気持ちでした。お亡くなりなられる方がいて初めて手術が受けられるということ、それに対しては大変申し訳ない気持ちになる一方、25年間失われていた視力が回復するかもしれないという期待感、なんとも言えない時期でした。年末が近くなってきた頃、H病院から連絡があり、ドナーの方が現れたことを知らされ、その翌日には入院し手術をしていただきました。私の場合、怪我をしたのが幼少期であったため、もしかたら術後もあまり変化がないかもしれないということは先生に言われていました。術後半年が経過してもなかなか視力がでなかったため、私は回復しないものと半ばあきらめておりました。

 しかし、乱視が非常に強くでているということで、ハードコンタクトレンズで矯正を試みたところ、なんと、1.0まで見えるようになっていました。小学校1年生の時から非常に視力が弱く、右目で何かを見るということがほとんど出来なかったのに、いきなりあの小さな「C」がしっかり見えていることにものすごく感動いたしました。普段、ほぼ左目に頼ってみていた全てのものが、両眼でみることによって頭の中までスッキリするくらい見えるようになりました。やはり左目に負荷をかけ過ぎていたのだろう思います。
  ドナーの方から頂いた角膜は、私のこれからの人生にお付き合いしていただき、今まで見てきたものや、まだ見たことがないもの等、いろんなものを見せていただきたいと思います。
  本当にありがとうございました。

(平成19年10月 お寄せ頂いたお手紙から掲載いたしました)

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